秋葉街道 1

 秋葉山秋葉寺がある浜松市天竜区春野町は、遠州から天竜川を上って40キロほどのところに位置する。全国の秋葉寺の総本山で祈祷寺として信仰を集めている。
   標高866m の秋葉山から1,350mの龍頭山にかけての山域は、千古の昔から修験の道場として行者が荒行に励んだところである。物の本によると三尺坊は秋葉寺の護神とされる天狗のことで、修験者三尺坊を神格化した信仰が秋葉信仰と混同されて伝えられているが、秋葉寺の本尊は観世音菩薩である。三尺坊は、観世音菩薩の霊夢から生まれたとされ、白狐にまたがった天狗の姿で具形化されている。秋葉神社 下社

また、実在の修験者をさすとの説もあり、6~7歳で出家して越後国蔵王堂十二坊中第一の三尺坊のあるじとなって不動三昧の法を執したところ鳥形両翼の姿[観音様の化身迦樓羅(カルラ)]となったと伝えられている。
  秋葉信仰は、特に江戸中期になって爆発的なブームとなって全国に広がり、火防の秋葉講は総数3万余、信者数数百万を数えたとも称されるほどの全国規模の組織となっていた。そのブームについて知る手がかりのひとつとして旅日記がある。秋葉山参詣の記録でいちばん古いものは、明和2年(1765)に出羽国の人が記したもので、そのころには秋葉信仰が全国的に拡大しつつあったことを伺い知ることができる。

 興味深いのは、資料によると100点中69点が往路で東海道を利用して掛川宿から分岐して秋葉山へ入り、御油宿で東海道に戻って伊勢参りをすませ、復路は主に中山道を経由して信州善光寺などへ回っていることである。帰路に参詣した例も含めると100点中81点が旅の途中に秋葉詣でをしていることになる。

  このような旅日記を記す旅人は、ある程度余裕のある人が多く一概にはいえないが、当時の物見遊山の旅のコースの代表として秋葉詣でが含まれていたことは注目すべき点であろう。

秋葉山の霊験ご利益については『東海道名所図会』(1797)にも紹介され、人々は東海道を旅し、秋葉常夜燈から秋葉道を通って秋葉総本山をめざした。そのころの秋葉寺は、かなり大きな組織となっていたようである。そして三尺坊のイメージは民間信仰によって肥大化し、各地に新しい秋葉寺院が興されるようになった。この福天天狗がとり憑いたという話は、秋葉参詣ブーム当時に伝えられた話かもしれない。

2011/06/13 10:08



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