新野の雪祭り  下

四時を回っても悠然と演っている。とにかく省略はない。八百年、ずっと神と語りつづけ、踊り明かし、鎌倉時代と何も変わらない。繰り返してきたことが、重要無形文化財たる所以だ。ある年、いい加減にやったらお宮に火がつくわ、祭り衆の誰かが死ぬわ、凶作だわ、ろくなことがなかった。茂登喜は七回目を舞い終えて庁屋に消えた。神社に積もる雪が松明に照らされて白く光っている。見上げると、半月が天心にあった。凍れる月影、空に映えて、春を待ちわびて人々は舞う。神と共にいる喜びで、熱気がこもる。村に平和をもたらすとあれば、神への讃 (たた)えごとにも力が入る。

 つぎはお待ちかね、競馬(きょうまん)のお出まし。烏帽子をかぶった若者が、馬上豊かに乗り出してくる。馬は作り物だが、巧みな手綱さばきでそれらしく見える。若者が矢をつがえて弓を引くと、どよめきがあがる。矢が放たれると、その先へ見物人がわっと駆け寄ってくる。矢には悪霊退散の霊力がついているからだ。競馬は出し物のなかで人気が高い。役は前日に抽選で決まるので誰に回ってくるか分からない。何年か前に子供に役を果たしたこともあった。この日の若者は花形役者そのもの、格好いい。ただし一番手はだ。二番手は打って変わって、もう腰が抜けてしまいそう。かたや義経、こなた与太郎。
馬の次は牛が登場してきた。”お牛”は宮司が務める重要な神事で、拝殿に向かって矢を放つ。それは人が神に近づいて自然と一体となることだ。

そのころは夜が明けて、境内の雪が朝日に映えて輝きだした。翁と神婆(かんば)が現れて、抱き合いながらくるくるまわる。女の子が庁屋から飛び出してくる。あれまあ、あれは子作りダンスだったのか。神婚伝説、男神と女神一夜の交わり、産むは生産につながる。
最後は待ちに待った鬼の登場。三匹の鬼がどしどしと暴れまわる。荒魂(あらみたま)を、まわりの人々が抑えこむ。鬼の表情はどこか泣き顔に見えて、それほど怖くない。雪祭りのお面はほんわかあたたかくて、手作りの素朴のよさが残っている。鎮めの神に押さえつけられる獅子など、はじめから参ったという顔をしている。
大地に田遊びの踊り衆が舞って、予祝の祭りは終わった。今年は豊年満作に間違いない。長い時間がすぎて、雪の積もる新野の里を下って行った。

2011/01/24 14:24



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