伊奈の家、むかし

  かつてこの地方は一大養蚕地帯であった。どこの家も「御蚕様」が中心だった。家もまた天井を高く、風通し良く蚕を飼うのに都合良く軒は深く造られていた。
春、桑の葉が繁ると蚕がくる。初秋の頃まで蚕と人の共存である。秋には沢山の稲束が軒下に積み上げられ脱穀をする。やがて大きな籾摺りの機械が来て多勢の大人が立ち働き米俵が次々と運び出される。その賑わいは子供心に取り入れの喜びを味わせてくれた。
 今は蚕を飼う家はほとんど無く、軒下の広い風通しの良い家は、市田柿作りに持って来いである。皮をむいた柿は吊るされ、天竜川からの朝霧に湿らせ日中は、天日に干される。その繰り返しで、徐徐に渋みがぬけ、甘味が出てくる。時期を見て取りこみ,柿をもみながら中の糖分を表面に出し、寒さに当て、さらに7日~10日繰り返すと、糖分が結晶して白い市田柿ができる。
 干し柿づくりに適した古い家に住んでいると木や紙がいかに除湿性を持っているかに気づく。家が呼吸しているのである。しかしながら冬の寒さ対策は、必須である。
今では、機械化されている部分も一部あるが本当に手間がかかる作業である。

かまどは一家の生活の中心であった。その頃の台所は土間だった。かまどは,赤土にわらを刻み込んで,よくこね,上の方に丸みをつけて固めたものだ。ブリキで出来たエントツが出ていた。
 両側にお釜や鍋が乗っていて,真ん中に茶釜がかけられていた。
 火を燃やす口は,二段になっていて左右に二つあり,上の段では薪を燃やし,下の段で灰を受け止めていた。灰は庭の草花の良い肥料になった。かまどは火を引いた後,冬になるとよく猫が暖を取りに来ていた。

2010/11/19 09:43



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