棟梁が伝えたいこと その2 鉋と板とがすいついとらんとこうはいかん。ずっと鉋で削っていると台の端がすりへってしまう。ぴたっと平らじゃあないとなめらかに刃が動かん。刃の研ぎこそ大工の命。なにしろ大工の仕事は研ぎの明け暮れ、ひまさえあれば研いでいる。鉋の刃はうすく鋭く光っていなければいかん。
そんなぐあいで親方から厳しく鍛えられた。毎朝暗いうちに起きて、歩いて親方の後を歩いていく。親方は空身だからいいが、こっちは親方の分まで道具箱を担いでいく。片方の手で砥石を下げて、仕事場までついていく。前を歩く親方が恨めしく思いました。
ある程度、年季も入ったので縁側を作らせてくれた。柱を立て、垂木を張って、板を渡す。もう舞い上がったねぇ。オレも一丁前になったってね。親方が見に来て、おお出来たかってもんです。こちらは、いつほめてくれるか、わくわくして待っていた。ところが親方は仕上げを見たまま、腕を組んで何も言わない。
そのうちにやっと口を開いた。「おめえさん、もういっぺんやり直せ」。坪方が、これはお施主さんのこと、「いい出来じゃあないですか」とかばってくれた。「だめだ。この垂木が気に入らない」。見ると1本だけ垂木がたるんでいる。「これではせっかく板を張っても、たわんでしまう」。 それからが大変、一日がかりで造作したのをはがさなくっちゃあいけない。二日が無駄になってしまった。仕事は納得するまでやりぬく。なまじ妥協するくらいなら始めからやらないほうがいい。
仕事をやらせていただいて、はじめてお金がいただける。それが職人の基本です。いい加減な仕事していたら一銭の値打ちもない。ちゃんとやるということは、お施主さんの願いを叶えさせていただくということです。家は家族の夢がつまっている。子供がすくすくと育って欲しい。年寄りが安心して暮らせるようにして欲しい。
見積もりが出ます。釘一本に至るまですべてが予算の中に組み込まれます。いったんやるとなると、契約なのですから、見込み違いは許されません。
同じ金をかけても家の出来は違います。先ほど申しましたように、ぶっさくりの大工と、職人気質の大工とでは、違って当たり前です。心がこもっているかどうかです。垂木一本くらいいいじゃあないかと、つくろったらその家は持ちません。まともな材、まともの職人が建てたら、家は100年持ちます。
今ではぶっさくりでも、そこそこの家が建てられる。工場生産の家が大手を振っているということです。昔なら小僧っ子扱いしかしてくれなかった、言葉は悪いが、若造が一丁前の顔している。一方でこの道40年の大工の出番がない。そんな馬鹿なことはない。真っ当な職人に仕事がないってえのは、日本文化の恥です。
年季の入った職人の数だけ文化が豊かになるのです。伊勢神宮が20年ごとに遷宮をして建て替えてきたのは、古くからの伝統技法を後世に伝えるためです。技は伝えていかなくちゃあいかん。これからもそうです。職人は日本文化の技の担い手です。どこの国へ行っても伝統はきちんと守られています。古い家を残した街がえらいと尊敬されています。
わたしは昔からのやり方を守り通してきました。世界に誇る木造伝統工法は受け継いでいかなければなりません。技は文化です。
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